私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

アスファルト

キリコ

 東京都新宿区の社宅に転居後、すぐに2学期が始まった。1957年(昭和32年)9月1日に私と妹のマイコは父に連れられて新しい学校へ向かった。マイコは中学校も高校も転校することになるが、いつも父がついていく。父は参観日などの行事にも毎回出席する。それでも40日の有給休暇を消化できないと嘆いていた。残業しない方針の父も年休を取るのは難しかったらしい。
 小学校に着くと驚くことだらけだった。校庭がアスファルトで覆われている。学校までの道ももちろんアスファルトで舗装されていた。兵庫県T市にアスファルトの道路はなかったように思う。自転車のタイヤがしょっちゅうパンクしたのが、東京に来てからはパンク事故ゼロ。雨が降るとぬかるんで長靴が欠かせなかったのも、東京では長靴を履かず仕舞い。肥溜めももちろんない。道路だけでなく、小学校の校庭までアスファルトとは! 転んだら痛いだろうなと思った。校庭はK小学校よりずっと小さく、二宮金次郎の銅像も立っていない。鉄棒やブランコなどの遊具はK小学校より多いようで、所狭しと並んでいる。校舎は鉄筋コンクリート。K小学校は横板を上下に並べた木造だった。

アスファルト:PAKUTASより

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