私は団塊の世代

団塊の世代の私が生きてきた時代を振り返ってみようと思います。私の記憶の間違いをご指摘くださるとうれしいです。

昭和天皇

キリコ

 4年生の2学期からプールの授業が始まった。学校にプールができたのだ。前年宇高連絡船が沈没して、修学旅行中の小学生が大勢死亡する事件が起きたことから、子供達を泳げるようにせねばとプールの設置がにわかに全国で始まったのだそうだ。でも水泳の指導はされず、毎回水遊びを楽しんだ。京都と違って近所に水泳教室がないので、泳げる子供は皆無だったと思う。私など毎夏琵琶湖に行っているのに泳げない。先生達も多くが泳げなかったのではないだろうか? プールの授業は校庭での体育よりずっと楽しい。運動音痴の劣等感を抱かずにいられるし。
 同じく2学期に、天皇の顔を初めて見た。今上天皇(昭和天皇)妻夫が学校の近くを通るので、沿道で出迎えた。4年生だけかほかの学年もいたのか覚えていないが、天皇の車が通るまで1、2時間待たされ、その間ずっとしゃがんでいた。しゃがむことを関西弁で『ちょちょくばる』と言う。かかとを床に着けたまま深くしゃがむヤンキー座りを、私はもうできない。何かにつかまっていないと後ろに転んでしまう。和式トイレの時代の年配者達はちゃんとできて尊敬する。4年生の私達はしゃがむこと自体は苦痛ではないが、退屈極まりなかった。立ったり、座ったり、配られた小旗を振り回したりして、じっとしていられない。やっと天皇妻夫の乗る自動車が左から来て、天皇が窓から手を振った。私達も小旗を振る。道路の向こう側にいる子供達は皇后しか見えないのでかわいそう。こちら側でよかった。皇后より天皇を見た方が箔が付くと思った。その後天皇も皇后もテレビのニュースで見る機会が増えて顔を識別できるようになったが、このときまで皇室の誰の顔も知らなかった。今までに私が皇族を生で見たのは2回。このときと、1996年(平成9年)に美智子皇后(今の上皇后)のそばにいた30分。
 2学期の終わりに総理大臣が鳩山一郎から石橋湛山に代わって、少し驚いた。私が総理大臣の存在に気付いたとき、既に鳩山一郎だったので、鳩山内閣がずっと続くような気がしていたのだ。鳩山内閣は2年間だったのに。日本が政権交代しても、アメリカのアイゼンハワー大統領とソ連のフルシチョフ首相は施政を維持し続けていた。突然石橋湛山が総理になったと思ったらすぐに病気で倒れ、あっというまに岸信介に代わった。石橋湛山の悔しそうな表情をテレビで見て同情した。彼男が首相を続けていたら、1960年(昭和35年)の安保闘争はどうなっていただろう? その後の日米関係も随分変わっていたかも。

1956年の昭和天皇:Wikipediaより

×

非ログインユーザーとして返信する